創建期の外郭南辺を区画した材木塀跡を発見−多賀城跡(多賀城市市川)
2015.01.04 Sunday 15:24
多賀城跡第86次発掘調査の現地説明会が2013年10月26日に開かれました。

多賀城跡は、奈良・平安時代に律令国家が設置した陸奥国の国府(国の役所)の跡で、国の特別史跡に指定されています。丘陵上の約1km四方をいびつな四角形に区画し、中央に重要な政務や儀式などを行なう政庁があり、城内の各所に実務を行なう役所や兵士の住居などが配置されていました。

多賀城跡第86次発掘調査
あいにくの雨の中の説明会となりましたが、多くの見学者が集まりました。写真右奥の小高いところが政庁跡です。今回の発掘調査地点は多賀城創建期の外郭南門から政庁へ向かう道路の西側で、通称鴻ノ池(こうのいけ)と呼ばれる沢地が埋没している場所です。創建期の外郭を区画する施設が、沢地部分ではどのような構造になっているかを確認するのが今回の主な目的です。
遺跡名:特別史跡 多賀城跡(たがじょうあと) 坂下地区(通称:鴻ノ池)
所在地:多賀城市市川字坂下
調査主体:宮城県多賀城跡調査研究所
調査原因:多賀城跡外郭区画施設の解明を目的とした学術調査(第9次5か年計画の5年目、第86次調査)
調査期間:2013年5月27日〜11月22日(予定)
調査面積:約350平方m

多賀城創建期の外郭南門は、多賀城碑がある丘の上で発見されている外郭南門跡よりも約120m北側(内側)で発見されており、八脚門であることが判明しています。今回の調査では、この八脚門に伴う材木塀跡が初めて発見されました。

多賀城跡第86次発掘調査
調査地点と外郭南門跡を西から見た様子です。写真奥に赤い柱で表示してあるのが、創建期の外郭南門であった八脚門跡です。その西側の延長線上で、材木塀跡(写真手前)が発見されました。

多賀城跡第86次発掘調査
発見された材木塀跡を南面から見た様子です(調査のため部分的に掘り下げています)。沢地で地盤が軟弱なため、あらかじめ材木と盛土で基礎工事をしています。材木塀は直径20cmほどの丸太を密に立て並べています。この材木塀は8世紀半ばには地上部分が撤去されて廃絶し、盛土をした高まりの部分は通路のようにして使われていたようです。

多賀城跡第86次発掘調査
周辺から出土した瓦です。城内には門や正殿など、普通の集落では見られない瓦葺の建物が各所に配置されて威容を誇っていました。

多賀城跡第86次発掘調査
調査地点は沢地で湿潤な土壌のため、通常は腐って残りにくい木製の遺物も出土しています。

多賀城跡第86次発掘調査
「厨(くりや)」と墨書された平安時代の土器も出土しました。「厨」は役所で働く人々の食事や、宴会の準備を行なう場所を指しています。緑釉陶器は緑色で光沢のあるガラス質の釉薬をかけた焼き物です。平安時代に西日本で生産されたもので、当時の国内最先端の技術を用いた高級品でした。

多賀城跡第86次発掘調査
平安時代の土坑からまとまって出土した土器です。10世紀頃には沢地の埋没が進んで平坦な土地となり、建物や井戸などが作られて何らかの活動の場として利用されていたようです。

【参考文献・関連資料】
多賀城跡第86次発掘調査現地説明会資料(平成25年10月26日)|宮城県多賀城跡調査研究所
多賀城跡とは|宮城県多賀城跡調査研究所

<多賀城跡第86次発掘調査地点>

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