-
複式炉のある竪穴住居跡5軒を確認−西石山原遺跡(亘理郡山元町)
-
2012.07.18 Wednesday 20:07遺跡名:西石山原遺跡(にしいしやまはらいせき)
所在地:亘理郡山元町高瀬字西石山原
調査主体:宮城県教育委員会
調査原因:常磐自動車道建設
調査期間:2010年7月29日〜12月9日、2011年6月13日〜9月(予定)
調査面積:3,500平方m
成果公開:2011年8月27日(土)現地説明会
西石山原遺跡は、海岸線から西に4.5km、標高約90mの丘陵上にあります。現在建設工事の進む常磐自動車道の計画路線敷にかかる約3,500平方mを発掘調査したところ、縄文時代の竪穴住居跡5軒、掘立柱建物跡4軒以上、土坑10基以上、平安時代の竪穴住居跡1軒などが確認され、縄文土器・石器、平安時代の土師器・須恵器・製塩土器などが出土しました。
見つかった5軒の竪穴住居跡はいずれも円形で、中央に炉が作られています。住居1は直径5.5mから直径6.3mに拡張されていました。
住居1の炉跡です。「複式炉(ふくしきろ)」と呼ばれるもので、住居の中央に土器を埋め、その南側を掘り窪めて石で囲んでいます。石で囲んだ部分で火を焚き、土器の中に火種を保存していたと推定されています。
住居4は住居1よりも小型ですが、同じように複式炉が作られています。住居の広さと比べると、なんだか炉が大きすぎてアンバランスな感じがします。
掘立柱建物跡は4軒以上が確認されています。四角形に柱を配置したものや、上の写真のように両端に棟持柱を配置した六角形のものがあります。
竪穴住居跡や土坑からは縄文土器や石器が多く出土しています。縄文土器は縄文時代中期の終わり頃(約4,500年前)のものだそうです。
出土した縄文時代の石器です。右から石匙、石錐、石鏃、装身具、磨製石斧です。石匙は上部のツマミに紐をつけ、携帯用の万能ナイフとして使われたと推定されています。石錐は動物の毛皮などに穴を開けるのに使われました。石鏃は弓矢の先に装着して矢尻として使いました。装身具はC字形をした玦状(けつじょう)耳飾りと呼ばれるものの一部で、耳たぶに開けた穴に装着したと考えられています。
山元町では、常磐自動車道の計画路線敷に35の遺跡が確認されており、これらの発掘調査がこれからも続きます。
【参考文献・関連資料】
宮城県教育委員会2011『西石山原遺跡 平成22・23年度発掘調査 現地説明会資料(平成23年8月27日)』
(宮城県文化財保護課のホームページで公開されています)
<西石山原遺跡>
大きな地図で見る -
Comment
-
Trackback
- トラックバック機能は終了しました。